中山道69次宿場巡り

(2009年Ⅰ期)

 

09年1月17日(土) 浦和宿

 

 暖かい天候に誘われて午後から浦和へ。浦和へは良く来るので土地勘はある。まず駅から近い玉蔵院へ。中山道から玉蔵院山門までの門前通りを描く。休日なのでみずほ銀行正面玄関前に椅子を置くことが出来た。山門と商店街の店の看板の対比が面白い。万年筆(イカ墨インク)で線描きのみ。

 調神社へ向かう途中、青木茶舗や裏のギャラリー喫茶「楽風(らふ)」の建物など古い建物群をまとめて描く。向かって右隣の駐車場看板などがジャマになって全体が見えない。ジャマなものは消しちゃえと駐車場の看板や変なデザインの街灯にも消えて貰った。

 調神社は中山道沿いの鳥居のない入口に期待していたがどうも描きにくい。ウサギの狛犬なども面白いのだが・・・。神社の境内を一巡りしてみたが、気にいったスケッチポイントは見つからなかった。

 浦和も大宮も町の発展につれ宿場の面影は消えてゆくばかり。やがて昔の名残りは神社やお寺だけになるのだろうか。大間木の大熊家に旧本陣(星野家)の表門が移築保存されているので、またの機会に訪ねてみたい。

玉蔵院門前通り
玉蔵院門前通り
調神社
調神社
青木茶舗
青木茶舗
調神社拝殿
調神社拝殿
楽風
楽風

09年2月2日(月) 上尾宿

 

 思い立って午後から旧中山道上尾宿へ。目標の氷川鍬神社はJR上尾駅からはすぐ。旧中山道沿いに鳥居と大きな神社の看板やケヤキの木が見える。正面向かい側の商店前から1枚描いた。その昔上尾宿には鍬や鋤など農機具の職人が多かったそうで、今も「お鍬さま」信仰が盛んな土地柄である。

 脇本陣跡に大きな鐘鬼瓦があるというので探したが見つからない。商店の人にも聞いてみたが皆知らないという。上尾宿は地元の人々の意識からも消えてしまったようで寂しい。

 飯盛り女「お玉」の墓があるという遍照院にも行って見た。立派な山門や本堂などは建替えられたばかりで真新しい。境内にお玉の墓の案内板がないか探したが見当たらない。墓地はかなり広い。

 氷川鍬神社に戻り、中山道を大宮方向へ愛宕神社まで歩いてみたが、古い建物はほとんどない。下の写真は中山道沿いにあった浜野呉服店、一階部分が非常に大きい。手前の長嶋京染屋は新しい建物だ。

氷川鍬神社
氷川鍬神社
町並み
町並み

09年2月22日(日) 日本橋・本郷森川宿

 

 日本橋から板橋は3月に行く予定であったが、暖かい陽気に誘われて日本橋から本郷森川宿を歩いてみようと思い立つ。上野駅から銀座線に乗り三越前で下車しまずは日本橋へ。喜多迅鷹先生の描かれた「日本橋」数点をチェックしてきたが、実際に現場に立ってみると迷う。いろんなアングルから見たが高速道路がどうしても入ってしまう。高速道路が入らないアングルは喜多先生が描かれたように橋の中ほどから片側の欄干と照明灯だけを入れて三越方向か、京橋方向を見た4ヶ所しかない。しかもこの構図は橋よりも日本橋通りや京橋通りが主題のように見える。今日は日本橋がテーマなので平凡だが横合いから描くほかない。京橋側橋詰から1枚素描。橋を近くから描くのは初めてだし、二連アーチ型なんて描いたことがない。非常に美しいがデッサン力の乏しい身には難しい。描いている間にも写真を撮る人が絶えない。ここは人気スポットらしい。高度経済成長真っ只中、東京オリンピックのためとはいえ、歴史的にも貴重な美しい橋の真上に首都高速を作った人達の感覚を疑いたい。

 日本橋から日銀前に移動。生憎本館前は工事中で、仕方なく通行止めのロープの外から1枚描いた。帰ってから見ると何だかつまらない、描き直す気力も失せた。工事場にいたガードマンが勧めてくれた旧館も、中央のドームが小さく全体のバランスが良くない。日銀の絵といえば建物の一部分を描いたものが多いのが分かる気がする。

 先年、喜多先生が日本橋通り大和屋を描いた絵を丸善ギャラリーで見たことがある。先生の絵がイメージとしてあったので、大和屋や向かいの三越本店、三井本館などを入れて日本橋通りが描ければいいなと思っていた。しかし大和屋の前まで来てみると、運悪く今日は店が開いていない。三越の前も道路工事中だ。シャッターがおりた商店は絵にならないが、折角なので写真を撮ってからお茶の水へ移動することにした。ここでデジカメに電池切れマークが点いてちょっと焦った。迂闊にも予備の電池を持ってきていない。

日本橋
日本橋
道路元標
道路元標
日本銀行
日本銀行

 御茶ノ水駅に近い湯島聖堂は江戸時代の昌平坂学問所跡であるが、周囲に良いアングルが見つからない。中山道側も建物が立ち木に隠れて描きにくい。向かいの神田明神も正面からは描けそうだが、このところ鳥居ばかり描いているようで気乗りがしない。諦めて御茶ノ水駅に戻る途中、聖橋の上からの神田川の眺めが素晴らしい。

湯島聖堂
湯島聖堂
神田明神
神田明神
聖橋より
聖橋より

 お茶の水駅前でタクシーを拾って本郷へ、東大赤門前で下車。すでに午後2時を過ぎている。日本橋で時間を取られすぎたようだ。本郷通り(旧中山道)からの赤門正面はあまりにも有名なので、中から描けないか構内に入ってみることに。すぐ銀杏並木があり、銀杏を入れて赤門を通路から立ったまま1枚下書きする。近くのキャンパスを歩いてみたが、古い建物ばかりで見ごたえがある。休日なのに学生や見物人が多い。近所の人なのか芝生にシートをしいて、ボール遊びをする子供や家族連れもチラホラ見える。天下の東大のキャンパスとは思えない光景だ。

東大赤門
東大赤門
東大キャンパス
東大キャンパス

 東大から菊坂へ。まず樋口一葉旧居跡を探す。よしむら歯科横の細い階段を下って旧居跡への路地がわからず周りをウロウロしていたら近所の人が教えてくれた。休日だったからか見学者が多い。狭い路地裏が人で一杯になることも。一葉旧居には現在も入居者がいるし、有名な手押しポンプの井戸も現役のようだ。次々と容赦なく押しかける見学者は近所の人達にはさぞ迷惑なことだろうなと思いつつ、写真を何枚か撮り後から描くことにする。
 今日、最も期待していた集落街並みWalkerで見た「菊坂の街並み」の場所はすぐに分かった。樋口一葉旧居跡からも非常に近い。残念ながら古い八百屋はすでに取り壊されて駐車場になっていた。幸い隣の質店伊勢屋は残っていた。ここから見る菊坂の街並みには昭和の面影が色濃く残る。伊勢屋は案内板によると樋口一葉と大変縁の深い質店だったらしい。「菊坂の街並み」とほぼ同じアングルで1枚デッサン。坂道なので立ったまま描くほかないが、それにしても今日はずっと立って描いている。
菊坂を下って右に上がる急坂(後で調べて胸突坂とわかる)を鳳明館へ。かなりの急勾配でしかもカーブしている。下から鳳明館を見上げる構図がいい。鳳明館は古い和風旅館で、庵看板のある本館は築100年とか。本館と分館との間の道を右に入って、分館の裏側から見たアングルも捨てがたい。かなり陽も傾いたので先を急ぐことにし、本郷館への最短ルートをとる、意外に近い。

樋口一葉旧居跡
樋口一葉旧居跡
菊坂
菊坂
北郷館
北郷館
胸突坂
胸突坂

 本郷館は写真で見たとうりのかなり老朽化した木造3階建てアパートである。Netで知ったのだが、本郷館にはすでに建て替計画があり、住民に立ち退きを求めているらしい。住民の賛同が得られず、現在も大勢の人が入居中とか。ワンルーム時代に本郷館の内部空間の良さが見直され入居希望者が多いそうだ。大正時代の一時期、女子師範学校(現お茶の水女子大)寮として使われたこともあったが、一貫して下宿屋として続いてきたらしい。本郷館の前には森川町会の掲示板がある。中山道の立場(人馬の休憩所)であった森川宿はこのあたりだろうか。写真を何枚か撮ってから帰路に。デジカメの電池は何とか持ったようだ。

 中山道(旧白山通り))と岩槻街道(本郷通り)の追分に建つ古い酒屋高崎屋も今日は休業。時間があれば西片や白山も歩いてみたかったがまた出直すことにした。地下鉄南北線東大前駅からJR王子駅経由帰路に。

09年03月21日(土) 高崎宿

 

 大宮発9:04JR高崎線快速アーバンにて高崎着10:14。今日は水彩を再開したいというKさんも同行。Kさんは展覧会などは何時も見ていただいているが、スケッチにご一緒するのは久しぶりだ。

 高崎駅は上越や信越方面に出かけるときには必ず通るが、二人とも降りたのは初めてである。高崎は工業都市のイメージが強いが、江戸時代には城下町として栄えただけあって、想像していたよりも駅前など大都市の風格があり綺麗な町だ。道路や公共建物が立派なのは昭和、平成と3人もの宰相を出した町らしい。

 先ずは樹齢400年という白木蓮を目標に高崎公園へ。白い花をつけた木蓮はすぐに分かった。烏川の東側台地に聳える株立ちの大木だ。まだ満開ではなさそうだが、すでに梢にはびっしりと真っ白い花をつけている。Kさんと一緒に30分スケッチ(彩色なし)。

 城跡公園の掘割沿いに移動して高崎城東門と乾櫓へ。現在高崎城の名残は東門、乾櫓、堀、土塁のみである。東門と乾櫓は民間に払い下げられていたものを買い戻して移築したそうだ。東門と乾櫓を1枚スケッチしてから公園のベンチで弁当にする。今日は非常に爽やかな陽気で、土塁の桜並木はまだ咲き始めたばかりだが散策する人もチラホラ見える。

白木蓮
白木蓮
高崎城東門と乾櫓
高崎城東門と乾櫓
高崎城址お堀端
高崎城址お堀端

 予定ではこの後、市内循環バスで上富岡町へ移動し、茶屋本陣跡とダルマの里を見ることにしていたが、予定を変更して常磐町など旧中山道を歩いてみることに。中山道は本町3丁目交差点で直角に左折し、常磐町で再び直角に右折する。高崎藩が防衛上このように街道を曲げたそうだ。高崎城跡からバス通りを北へ直進すると、高崎神社前で中山道と交差する。このあたりから中山道の道幅が狭くなり、古い建物が点在するが連なる街並みは残っていない。中山道が常磐町で北へ直角に曲がる少し手前に古い醤油店があった。煉瓦煙突もあるので醤油醸造所だろうか。さらに烏川にかかる君が代橋が見えるあたりまで行ってみたが古い建物は残っていない。

 中山道を戻り、本町通りの土蔵造りの家を探す。本町3丁目交差点の手前右側に黒漆喰壁の店蔵があった。川越の蔵造りに非常に良く似た建物だ。隣には昭和の面影が残る洋風の店が並んでいる。本町3丁目から南側は新しい建物ばかりで旧街道の面影はない。

 土蔵造りの商家から2軒ほど西に戻り、南に入る通りが中央銀座アーケード街である。入口付近のゴチャゴチャした街並みが面白い。アーケード街を歩いてみたが、連休中なのにシャッターの閉まった店が多く人通りも少ない。オリオン座という昔懐かしい映画館もあったが現役だろうか。

 長いアーケード街を抜け、あら町で駅前通りを渡って竜見町へ。「中山道69次を歩く」にあった武家屋敷を探したが見つからない。何人かの人に尋ねたが結局分からないまま。あきらめて高崎駅に戻り、14:58発の高崎線に乗り帰路に。今日はKさんに後の予定があり、上豊岡町の茶屋本陣跡へは行けなかったがまた再訪したい。

醤油店
醤油店
土蔵造りの家
土蔵造りの家
高崎銀座
高崎銀座

09年03月29日(日) 鴻巣宿

 

 今月のHP更新の目標枚数に3枚足りない。桜の大宮公園など近場でお茶を濁すことも考えたが鴻巣宿がまだなので、天気もいいし午後からJR高崎線で鴻巣へ。鴻巣へ来たのは何年ぶりだろうか。駅前の景色がすっかり変わっている。大きなショッピングセンターとロータリーが出来て狭かった駅前が広くなった。

 まず中山道を北へ、予め目星をつけておいた土蔵造りの家を探す。古い建物がポツポツと残っている。土蔵造りの家はすぐに分かった。妻入りの袖蔵を持つ平入りの店蔵が2軒並んでいる。中山道に直交する路地裏からの眺めも捨て難い。向かいの雑貨屋もかなり古い建物だ。どの建物も現役なのがいい。雑貨屋の隣に鴻神社がある。鴻巣宿の鎮守、地名の由来にもなった神社だ。今日は吉日なのか、お宮参りの家族が何組も拝殿に上がって御祓いを受けていた。

 鴻神社から中山道を南へ、宿場東のはずれ人形町へ向かう。途中に木村材木店など重厚な建物もあるが、残念ながら連なっていない。本町7丁目あたりから人形町にかけて雛人形店が並ぶ。土蔵が雛屋資料館の吉見屋が狙いであったが想像していたより建物が新しい。資料館も有料だ。中庭の奥には喫茶店まである。やや拍子抜けし諦めて帰ることにしたが、時間も早いので近くの勝願寺に寄ってみることに。境内の桜はまだ三分咲だが並木が美しい。伽藍は全体的に老朽化した感があるが、山門(仁王門)、本堂、庫裏など大寺院の風格がある。後で調べて分かったが、勝願寺の裏手には徳川家康が鷹狩りのために建てた鴻巣御殿があったそうだ。家康はたびたび勝願寺にも訪れ、勝願寺は家康の崇信を得て紫衣を許される大寺になったとか。山門前の公園には銀杏の大木もあり、秋の紅葉時には見事だろうなと思った。

土蔵造りの家1
土蔵造りの家1
勝願寺山門
勝願寺山門
土蔵造りの家2
土蔵造りの家2
勝願寺山門より本堂
勝願寺山門より本堂
鴻神社
鴻神社
勝願寺山門前のお堂
勝願寺山門前のお堂

09年04月04日(土) 松井田宿

 

 Kさんと2人で青春18キップを使って松井田へ。大宮発9:04高崎線快速アーバンにて高崎着10:14、高崎発10:26信越線横川行きに乗り換えて西松井田着10:53。今日は天気予報があまり良くないので、狙いのポイントを先に消化しておこうと、西松井田駅から五料茶屋本陣跡へ向かう。朝から曇り空だが風も無く長閑な田舎道は気持ちがいい。第十中山道踏切の手前、信越線の線路越しに見る妙義山の雄大な眺めが素晴らしい。この景色を今日の第一のポイントとして、五料茶屋本陣からの帰りに描くこととする。

 五料茶屋本陣へ入場料を払って入る。受付のおばちゃんが他に客がいないので、茶屋本陣や館内の展示品など細かく説明してくれる。30分も経っただろうか新たに来客がありようやく解放された。茶屋本陣の前庭から見た妙義山の眺めも良い。何枚か写真を撮ってから先ほどのスケッチポイントに戻る。

 中山道からは信越線の線路が視界を遮るので、良い場所がないか線路の中に入って探したところ、Kさんが崖下に下る細い階段を見つけた。階段の中ほどからは妙義山麓の雄大な広がりが全く遮るものもなく眼前に展開している。階段に座って涼しい風に吹かれながら先ずは腹ごしらえをと握り飯を食べる。
 今日はこの風景をスケッチできただけで満足であるが、雨に会わないうちにと松井田宿へ急ぐ。補陀寺、松井田八幡宮、不動寺を訪ねながら仲町交差点へ。補陀寺を過ぎたあたりに松井田城跡の長い石垣があった。滝川一益や大道寺政繁が居城したという上州最大の山城で、松井田は中山道の宿場になる前から栄えていたらしい。

 今日のもう一つに狙いは、集落街並みWalkerで見た仲町交差点から南町への街並みである。10年くらい前の画像らしいがそのままの状態で残っていた。生憎雨がパラパラと降ってきたので、急いで写真だけ撮って先を急ぐ。崇徳寺から下町を観て、電車の時間を調べたら松井田駅発15:05の便に間に合いそうだ。予定より1時間半も早いが帰路についた。

碓氷川と妙義山
碓氷川と妙義山
五科の山里
五科の山里
五科の茶屋本陣より妙義山
五科の茶屋本陣より妙義山
松井田の町並み1
松井田の町並み1
五科の茶屋本陣
五科の茶屋本陣
松井田の町並み2
松井田の町並み2

09年04月06日(月) 新町宿

 

 青春18キップの期限は4月10日。残り2枚を消化するには日程的に今日と9日、10日しかない。しかし新町までは通常料金とほとんど変わらずメリットはないが利用することに。何時もの大宮発9:03高崎行き快速アーバンにて新町着10:14。早起きが苦手な身には有難い電車だ。

 新町宿は中山道69次の中では最後に設置された宿場である。距離も短いので今日は東のはずれの常夜灯から烏川の手前まで歩いてみることに。

 常夜灯は17号線と旧中山道の分岐点にあった。昭和53年に再建されたものだ。このあたりは新しい建物ばかり。常夜灯から北へ、先ず江戸時代の鳥居が残っているという諏訪神社に立ち寄る。境内の立ち木や拝殿など歴史が感じられるがいい構図が見つからない。鳥居は神社の裏手に2基埋まっていた。元禄時代のものらしいがこれも絵に描くにはスペースがなく難しい。

 宿場中ほどに明治天皇行在所となった建物がある。今は綺麗に整備され公園になっている。公園のすぐ近くに於菊稲荷神社があった。旅籠大黒屋の飯盛り女お菊が神社内に住んで信仰したという言い伝えがあるそうだ。今月8日には春の例祭があるそうで、大小40の赤い鳥居も塗り替えられ、境内は綺麗に清掃されていた。境内の桜は5分咲きだが祭日には満開であろう。中山道沿いには古い商家など点在するが連なる街並みは見られない。

常夜灯
常夜灯
諏訪神社の旧鳥居
諏訪神社の旧鳥居
於菊稲荷
於菊稲荷

 中山道はやがて温井川に架かる弁天橋を渡るが、予め調べておいた下流の虚空蔵橋に向かう。今日の第一の目標でもあり、橋と立ち木が広重の新町宿に似ているので、広重が描いたのは虚空蔵橋ではないかとの説があるらしい。堤防の斜面に咲いた菜の花や橋詰の公園の桜が美しい。下流側の右岸堤防から1枚下書きする。

 弁天橋を渡ると道は二手に分かれるが右側の細い道が中山道だ。旧宿場はこのあたりまでらしい。立石新田には古い養蚕農家を期待していたが、それらしい建物も殆どが建替えられ新しくなっていた。さらに進むと右側に白壁土蔵造りの大きな建物があった。屋敷も広くかなり奥まで白壁が続いている。門には会社名があった。1枚下書きしたが道路が狭く全体をまとめるのは難しい建物だ。

 この先の高速道路をくぐると烏川に出るが、どうやら新町宿のポイントはこの土蔵造りの建物までのようだ。帰路、弁天橋の東にある八幡宮の拝殿に遊女が奉納した大絵馬が保存されているというので立ち寄ったが、拝殿は扉が閉まっていて見ることが出来なかった。

虚空蔵橋
虚空蔵橋
旧養蚕農家?
旧養蚕農家?
土蔵造りの建物
土蔵造りの建物